科学エッセイ「生命の森をさまよう」        下田 親


第93回 パウル・カンメラーの自殺
    聖シュテファン教会の鐘がなり終わってからどのくらいの時間が経ったのだろう。ウィーンの有名な遊園地プラーターの一角を占めるヴィヴァリウム(実験生物学研究所)のルネッサンス風の建物は夜のとばりの中に沈んでいた。パウルは3階の彼の研究室の窓から闇の向こうのドナウを眺めていた。夜の静けさの中にひとり取り残されてみると、二十数年前のあの活気に満ちた研究所の雰囲気を思い出すことだに難しい。プシブラム所長の下、カール・フリッシュ、ポール・ヴァイス、そしてシュタイナッハなどの著名な生物学者がここで世界の耳目を集めて、日々新たな研究を繰り広げていた黄金の日々。あの頃、生物学の最先端を牽引していたこの研究所も第一次世界大戦後の荒廃の中で、昔日の面影はない。そして、パウルにかけられたあの疑惑と屈辱。パウルは部屋の片側におかれた水槽のわずか数匹になってしまったサンバガエルとサンショウウオを眺めると、自分の机に戻り、鍵を開けると少し乱暴に引き出しの奥から黒く光る小さなピストルを取り出した。

翌日、パウルの姿はシェーネベルクの山中にあった。夕刻、もう闇の気配が迫っていた。何時間も歩き回った彼は疲れきり、山道脇の通称テレサ岩という岩壁に寄りかかって目を閉じた。そして意を決すると弾倉に1発の弾丸を込めた。右手で銃把を逆向きににぎり親指を引き金に当てた。左手で握った銃口を口に入れると一瞬金属の匂いがした。乾いた銃声は意外に小さく、山中とて気づいた人は誰もいなかった。1926922日、オーストリアの著名な生物学者パウル・カンメラーはこうして自らの45年の生涯に終止符を打った。


写真1.パウル・カンメラーの肖像。1924年
撮影の44歳 の時の写真です。「サンバガエルの謎」(アーサー・ケス トラー著、石田敏子訳。岩波現代文庫)からお借りしました。
 
写真2.スペインの切手に描かれたサンバガエル(後ろ足 に巻き付けた卵塊がわかります)。
”Kunioの世界の切手紹 介と海外写真集”のホームページから借用しました。 

ミステリー小説風の書き出しで、驚かれましたか。パウル・カンメラー(写真1)は実在の生物学者で、シェーネベルク(オーストリア)の山中でピストル自殺を遂げたことは事実ですが、他のシチュエーションはすべて僕の想像の産物です。生物学の研究史での、この最大のスキャンダルについて、その背景を考える−これが今回のエッセイの眼目です。 

前回の「キリンの首が長いのは」で、獲得した形質が子供に遺伝するというラマルクの説をご紹介しました。ラマルクの主張は妙に人間の感性に入り込む魔力を持っていて、獲得形質の遺伝を証明しようとした実験生物学者も少なくありませんでした。パウル・カンメラーもそのひとりです。彼はウィーンで育ち、最初は音楽アカデミー(ウィーン音楽大学の前身)で作曲を学んだ後、生物学に転じた珍しい経歴の持ち主です。世紀末のウィーンという爛熟した空気の中で青年期をおくりました。世紀末ウィーンというとあの大作曲家グスタフ・マーラーを思い浮かべます。独特の美の感性を持ち、9つのいずれも長大なシンフォニーを作曲し、ベートーベンを超えるべく第10番シンフォニーに挑み、果たせず心臓を病みこの世を去りました。スケッチが残されたこのシンフォニーは、後にデリック・クックという音楽学者が手を加えて演奏可能な形にしました。このクック版の第10シンフォニーはサイモン・ラトル指揮のベルリンフィルが演奏したCD(東芝EMI)を持っていますが、あまり繰り返し聴こうという気にはなりません。大分脱線しましたが、脱線ついでに言うとマーラーにはアルマ・マーラーという美人の妻がいました。アルマは恋多き女性で、画家のクリムト、建築家グロビウスなどと華麗な男性遍歴を重ねたことで有名です。ハンサムで魅力的だったカンメラーも恋愛歴ではアルマに引けを取らず、アルマとも交際の噂が残っています。

世紀のスキャンダルと騒がれたカンメラーの自殺の原因は何だったのでしょう。その前に、パウル・カンメラーがどんな研究をしたのか見ておきましょう。彼はカエル、サンショウウオ、イモリなどを、普通の生育環境とまったく異なる環境で飼育したときにどのような性質の変化が起きるかを調べていました。この事件の背景になったのはサンバガエル(写真2)の研究です。このカエルは陸上に棲息してメスが産んだひも状の卵塊を後ろ足に巻き付けて孵化するまで世話することからサンバガエルの名がついたのです。カンメラーはこのカエルを水中で飼ってみました。オスはメスと交接するときに前足でしっかりとメスの身体を掴みます。しかし、水中では滑るので上手く掴むことができないのです。ところが、こうして水中で飼い続けていると、オスの前足に角状の突起をもつ瘤が出来てきたのです。これを「婚姻瘤」と名づけました。婚姻瘤は水中での生活に適応した新しい形質と考えられます。さらにカンメラーはこの獲得形質である「婚姻瘤」が次世代に遺伝することを観察したのです。こうして、カンメラーの発見は「獲得形質の遺伝」を示すものとして一躍注目の的になりました。

獲得形質は遺伝すると主張するラマルク主義と、ランダムな自然突然変異が環境により選択されるというネオ・ダーウィン主義は激しく論争を繰り返していました。両者の対立の渦中にカンメラーのセンセーショナルな研究成果が報告されたわけですから、反対派の研究者は敵意を持って攻撃してきました。

科学研究の真偽を確かめるには、その研究を同じ条件で調べてみる“追試”が重要です。追試で結果が再現できなかったことにより、幾多の研究結果が否定されてきました。不思議なことに、カンメラーの実験は今に至るも誰も追試を行いませんでした。批判するネオ・ダーウィン主義の陣営の研究者もです。実は、こうした両生類の飼育は非常に難しく、また交配により次の世代を生み出すことはもっと難しいのです。カンメラーは両生類の飼育に神業的なテクニックを持っていました。サンバガエルの婚姻瘤の研究を追試するには、彼ほどの極めて優れた動物飼育技術と長い年数を経代飼育する根気が必要だったのです。幸か不幸かそれが可能な研究者はカンメラーを除いて皆無だったというわけです。

さて、1926年、カンメラーの残した最後のサンバガエル標本を調べた米国自然科学博物館のノーブル博士が、この標本の前足には「婚姻瘤」の特徴とされた突起は見られず、しかも前足には墨が注射されていたと報告しました。こうして、カンメラーのサンバガエルの研究は捏造であるという烙印を押されたのです。しかし、これにも疑問があります。カンメラーの標本を調べたのは、ノーブル博士だけではありません。それまで反カンメラー派の研究者ですら異常を発見したものはありませんでした。墨の注射は事実だったようですが、ノーブルの検査のすぐ前に何者かが行った可能性が高いのです。また瘤がなかったのは標本の経年劣化かもしれません。むろん、カンメラー自身は墨の注入という捏造に関わったことは強く否定しています。

カンメラーの自死は捏造が明るみに出たことが原因なのでしょうか?戦後の激しいインフレにより彼の生活基盤が破壊されたことによる絶望、女性との関係のもつれなども取りざたされています。名家ヴィーゼンタール家の5人の姉妹たちとの、とっかえひっかえの恋愛が有名です。とりわけグレーテ・ヴィーゼンタールが新しい研究所を創設するためにカンメラーがモスクワに赴任する際、彼との同行を拒絶したことが最大の原因だったとの説も有力視されました。100年の時を経た現代、もう真相は闇の中でしょう。

科学研究における不正、とりわけデータの捏造は今もしばしば起こっています。データ捏造という忌まわしい出来事。そしてサンバガエルのいささかグロテスクな婚姻瘤。20世紀初頭の生物学の世界でのスーパースターとも言えるパウル・カンメラーの自死は何やらおどろおどろしい雰囲気に包まれて、忘れがたい印象を与えます。そして、文化都市ウィーンの退廃的な雰囲気。僕はこの稿を、気分を出すためにマーラーの第9シンフォニー終楽章の耽美的なメロディを聴きながら書きました。著名な作家アーサー・ケストラーはこの事件の傑作ドキュメントを残しています。この著作は「サンバガエルの謎=獲得形質は遺伝するか」(石田敏子訳)として岩波現代文庫に訳本があります。



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